仕事が嫌になったからブロードウェイでミュージカル観てくる

Nothing is as beautiful as something that you don’t expect.

ハウリング・ガールズ(東京芸術劇場)

観劇日:2019年10月31日

劇場:東京芸術劇場プレイハウス

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現代では、わかりやすく言葉にできないなら、意見や考えが無いものとされてしまうことが多い。でも表明されないからといって、そこに何の想いもないわけじゃない。むしろ言葉にされるのは氷山の一角に過ぎないのだ。人はそれぞれ、水面下に言語化できない溢れる世界を持っている。そのことを本作で目の当たりにした。

ハウリング・ガールズ」は東京芸術祭ワールドコンペティションの演目の一つ。オーストラリアのシドニー・チェンバー・オペラによる作品。

演出ノートには、911のトラウマを抱えた少女達がヒントになって生まれた作品とあったが、次の文章を読んで、チケットを取ることを決めた。

 

「この物語は、もう一つのトラウマである女性の『ヒステリー』の歴史、周囲から信じてもらえず、非理性的で意味の分からない言葉を話しているとみなされてきた歴史とも共鳴するものかもしれない」

 

芸劇のプレイハウスの前方に小さな特設会場が作られていて、私はその最前列で鑑賞した。

暗闇の中で、かすかな息が聴こえ始める。それは徐々に呻き声のような歌声に変わる。最初は喉にひっかかってうまく出ないが、段々スムーズに、ストレートに、様々な高さで朗々と歌い始める。それに呼応するように、少女達のコーラスが聴こえる。舞台下手には、白い布にくるまって横たわっている1人の人間。声が大きく高く響くにつれて、布にくるまった彼女はやっとの思いで起き上がる…。

 

涙が出た。自分の姿を目の前に突きつけられたようだった。この言葉にならない悲鳴は、私がずっと自分の中で持て余してきたものじゃないか。そしてもしかして私の母の。さらに、この世で理不尽を感じながら、耳を傾けられない人々の叫び・祈りのようにも思えた。目の前の女性達は、声にならない声に、こんなにも美しく陽の目を見せてくれた。彼女達の声に唱和するような思いだった。途中、メインのソプラノ歌手が(素晴らしい歌声だった)蓄音機のようなものを持ち、少女達もメガホンを取って歌うシーンがあり、私達の呻き声に市民権が与えられたと感じて、心が震えた。

少女達が、最初は訥々と、でも確実に自分の言葉を語り始めるシーンは、とても頼もしく思えた。若い時期にこの作品に関わることは、彼女達にとっても大きな財産になるだろうと思った。

作品の中で歌われた歌は、歌詞も明確なメロディもなく、不協和音と思えるものもあった。私は耳が敏感な方で、電車の中ではノイズキャンセリングフォンが手放せないのだけど、この作品で奏でられる音楽については全く不快な感じがしなかったから、ちゃんと計算され尽くされているのだと思った。

観終わった後は、しばらく放心状態だった。短い作品だったけれど不思議な体験をした。