仕事が嫌になったからブロードウェイでミュージカル観てくる

Nothing is as beautiful as something that you don’t expect.

ボーイズ・イン・ザ・バンド〜真夜中のパーティー(なかのZERO)

観劇日:2020年8月29日

劇場:なかのZERO 大ホール

数年前に映画を観て、ニューヨークでも舞台を観た作品。翻訳版がどんな風になるか比べてみたくて観てきました。

【以下、ネタバレを含む感想】

今回は、マイケルの自身のセクシャリティへの葛藤がより際立って感じられました。

電話ゲームの場面では、マイケルのことを「自分は何もせずに仲間に電話を強要して傷つけて、何なんだこいつは」と辟易する気持ちもありましたが、アランが帰ったあと落ち込むマイケルの姿を見て、またそこで語られるハロルドの言葉を聞いて、マイケルの葛藤の深さを感じました。

この作品の魅力は、徹底的に人間の弱さを露わにして、しかもそこに優しい眼差しがあることだと改めて思いました。愛されたい人に拒絶される哀しみ、自分の容姿に関するコンプレックスなどはセクシャリティを超えて普遍的なものだと思います。

電話をかけたことで落ち込み続けるバーナードを優しく介抱するエモリー(登場人物の中で一番好きかも)や、発作を起こすマイケルを母親のようにあやすドナルドの姿に慰められるような気がしました。マイケルが激しい落ち込みの中で神に祈った時、一筋の光が舞台を横切っていて、何か崇高なものを感じました。

作者のマート・クロウリーの、カトリックであり、かつゲイである自身の葛藤が剥き出しに表された作品なのだと思いました。

教会も教派によっては同性愛に寛容な姿勢を示すようになった現代なら、彼はどのように感じただろうと考えました。

ミサに出かけるマイケルに「僕の分も祈っておいて」と言うドナルドや、マイケルが「帰る時は鍵をかけて」というところにあらわされる、2人の近過ぎない距離感もとても好きです。

 

NetFlixでブロードウェイ版キャストが何人か出演する映画も近々配信されるそうで、こちらもぜひ観なければと思っています。

 

映画のマイケル役、ケネス・ネルソンもとても魅力的です。

 

The Boys in the Band: A Play in Two Acts

The Boys in the Band: A Play in Two Acts

  • 作者:Crowley, Mart
  • 発売日: 1968/06/01
  • メディア: ペーパーバック
 

 



 

ハニーボーイ

鑑賞日:2020年8月7日

映画館:アップリンク吉祥寺

前情報を何も入れず、ふらりと入って観ました。後からじわじわくる作品。

【あらすじ】

1980年代、天才子役としてテレビで活躍していたオーティス。しかし実生活では両親は離婚、オーティスの収入で父子家庭は支えられていた。

10年後、成人した彼は俳優を続けていたが、アルコールで暴力事件を起こし、リハビリ施設に入る。それを機にオーティスは、直視することを避けていた父との関係に向き合い始める。

 

【以下、ネタバレを含む感想】

ストーリーとしては、よくあるトラウマもので、最後に父親の幻影と抱き合うところも特に感慨もなく見ていた。ラストも「まさかここで終わるの?」と拍子抜けしたが、エンドロールの写真を見て、これが実話なのだとわかった。

その後作品HPで、オーティスのモデルであるシャイア・ラブーフが脚本を書き、しかも自身を虐待した父親役を演じたと知り、衝撃を受けた。そう考えると、一つ一つのシーンがまったく違って見えてくる。

一番印象に残ったのは、父のジェームスが、最初は抵抗していた断酒会で自分のことを語り始めるシーン。いつも虚勢を張っている彼の、鎧を脱いだような様子がなんとも清らかで、この役者さんは本当にいい表情をするなと、背景も知らずに思っていた。

シャイア・ラブーフはまだ30代だから、父親は生きている。どんな思いでこの映画を観たのだろう。自分がちゃんと父として愛せず、親としての責任を果たせなかったにもかかわらず、息子が映画で自分を演じることで、最大限自分を理解しようとし、寄り添ってくれたと感じただろうか。

インタビューで、シャイアは、この映画がきっかけで父との関係が好転した(ほかの親子関係のように多少ごちゃごちゃはしているけれど)と述べている。

シャイア・ラブーフはこの作品まるごとかけて、父親を抱きしめたのだと思った。

 

子役のノア・ジュプくんがとてもいい。この瑞々しさを失わないで大人になってほしい。

 

Honey Boy (Original Motion Picture Soundtrack) [Explicit]

Honey Boy (Original Motion Picture Soundtrack) [Explicit]

  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 



 

ハウリング・ガールズ(東京芸術劇場)

観劇日:2019年10月31日

劇場:東京芸術劇場プレイハウス

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現代では、わかりやすく言葉にできないなら、意見や考えが無いものとされてしまうことが多い。でも表明されないからといって、そこに何の想いもないわけじゃない。むしろ言葉にされるのは氷山の一角に過ぎないのだ。人はそれぞれ、水面下に言語化できない溢れる世界を持っている。そのことを本作で目の当たりにした。

ハウリング・ガールズ」は東京芸術祭ワールドコンペティションの演目の一つ。オーストラリアのシドニー・チェンバー・オペラによる作品。

演出ノートには、911のトラウマを抱えた少女達がヒントになって生まれた作品とあったが、次の文章を読んで、チケットを取ることを決めた。

 

「この物語は、もう一つのトラウマである女性の『ヒステリー』の歴史、周囲から信じてもらえず、非理性的で意味の分からない言葉を話しているとみなされてきた歴史とも共鳴するものかもしれない」

 

芸劇のプレイハウスの前方に小さな特設会場が作られていて、私はその最前列で鑑賞した。

暗闇の中で、かすかな息が聴こえ始める。それは徐々に呻き声のような歌声に変わる。最初は喉にひっかかってうまく出ないが、段々スムーズに、ストレートに、様々な高さで朗々と歌い始める。それに呼応するように、少女達のコーラスが聴こえる。舞台下手には、白い布にくるまって横たわっている1人の人間。声が大きく高く響くにつれて、布にくるまった彼女はやっとの思いで起き上がる…。

 

涙が出た。自分の姿を目の前に突きつけられたようだった。この言葉にならない悲鳴は、私がずっと自分の中で持て余してきたものじゃないか。そしてもしかして私の母の。さらに、この世で理不尽を感じながら、耳を傾けられない人々の叫び・祈りのようにも思えた。目の前の女性達は、声にならない声に、こんなにも美しく陽の目を見せてくれた。彼女達の声に唱和するような思いだった。途中、メインのソプラノ歌手が(素晴らしい歌声だった)蓄音機のようなものを持ち、少女達もメガホンを取って歌うシーンがあり、私達の呻き声に市民権が与えられたと感じて、心が震えた。

少女達が、最初は訥々と、でも確実に自分の言葉を語り始めるシーンは、とても頼もしく思えた。若い時期にこの作品に関わることは、彼女達にとっても大きな財産になるだろうと思った。

作品の中で歌われた歌は、歌詞も明確なメロディもなく、不協和音と思えるものもあった。私は耳が敏感な方で、電車の中ではノイズキャンセリングフォンが手放せないのだけど、この作品で奏でられる音楽については全く不快な感じがしなかったから、ちゃんと計算され尽くされているのだと思った。

観終わった後は、しばらく放心状態だった。短い作品だったけれど不思議な体験をした。

 

どん底(新国立劇場)

観劇日:2019年10月4日

劇場:新国立劇場

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マクシム・ゴーリキーどん底」新訳上演。少し体調が良くなかったので、タイミングが悪かったなと思いながらも、なんとか劇場にたどり着いた。

 

救いのないラスト。

明確な答えは与えられない。

でも観る前より明らかに元気になっている自分がいた。

なぜだろう。

 

たとえ、何らかの答えが提示されたとしても、そんなに単純なことではないと納得出来なかっただろう。

答えが無い中で、必死に生きる人々の姿を見て、同志のような頼もしさを感じたのかもしれない。少なくとも、同じ戦いを戦っている人々がいる、1人ではないのだと。

巡礼者ルカの耳触りのいい言葉は、多くの人に影響を与えるが、根拠がなく、無責任で浅い。電車に頻繁に広告を出している自己啓発本の類を思い出した。

なぜ生きるのか。答えは自分で見つけなければならない。見つからなくても問い続けなければならない(いや、問うのをやめて、やり過ごす自由もある)。神を信じたいなら、誰かの聴いた神の声ではなく、自分一人で神と向き合い対話しなければならない。

そして、他者に対して、その人の人生の問題の解答を持っているかのように語ってはならないのだ。

そんな事を思った。観てよかった。

 

どん底 (岩波文庫)

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バレエ・アム・ライン「白鳥の湖」

鑑賞日:2019年9月20日

劇場:Bunkamuraオーチャードホール

ヨーロッパで話題だというドイツのカンパニーが「白鳥の湖」で来日、しかも生オケということで、お高かったけど観てきました。

一番の衝撃は、オデット役の女性がいかにもバレリーナな感じではなく、小柄で筋肉質だったこと。ドタバタ走る様子は白鳥というよりアヒルの子のよう。誰もがうっとりする高嶺の花じゃないけど、王子にはツボだったのね、という感じで見ていた。でも、彼女が愛された自信に輝いてとても美しく見える瞬間もあって、だから裏切られた時の悲嘆の大きさが感じられた。王子役が手足が長い、群舞の中でも目を引く人だったので、オデットと一緒に踊ると頭2個分くらい身長差があるように見えて、面白かった。2人が座って向かい合うシーンが、くつろいだ雰囲気で好きだった。

芸術監督・振付のマーティン・シュレップァー氏(客席にいた)は「現実の世界は、 整った美しい人ばかりではなく、 小さい人もいますし大きい人もいる、 そういった現実の生活を舞台の中で表現したい」と語っていて、なるほどと思った。

オケについては、最初から大好きな白鳥の湖を生で聴ける贅沢を噛み締めていたんだけど、特にジークフリートがオディールに騙されたと気づいた絶望のシーンが、これでもかというくらいに盛り上げられて、圧倒された。

一番観られて良かったなーと思ったのは、四幕の人間になった白鳥たちの群舞(マシューボーン版でいうとベッドの下から白鳥が出てくるところのメロディ)。メインの白鳥のダンサーが可愛いかった。オデットが裏切られた哀しみを白鳥みんなが共有している感じがした。

全体を通してほかに気づいたところは、無音で踊るところが結構あった。(え?音楽こんなに盛り上がってるのに、ダンサーはじっとしてるの?)と思う所も多々あった。アジア人がみんな悪役なのは、日本人ダンサー達は受け入れているようだけれど、正直少しモヤモヤした。

色々と戸惑うところもあったけど、それも含めて観てよかったです。

 

Tchaikovsky: Swan Lake (Choreography By Martin Schlapfer) [DVD] [Import]

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ロケットマン

鑑賞日:2019年8月23日

映画館:TOHOシネマズ日本橋

エルトン・ジョンの伝記的映画。「ユア・ソング」誕生シーンのPVを観て心が震えるほど感動し、公開初日に観に行きました。でも、これから観に行く方は、この動画を前もって観ない事をお勧めします。やはり、ここがクライマックスの一つで、映画館で初めて観る方がいいと思うからです。

あらすじは「ボヘミアン・ラプソディ」をなぞるような面も多く、特に目新しいものはありませんでした(マネージャーも同じ人が出て来るし)。ただ一番の違いは、本人が存命だという事。あんな破茶滅茶な生活をして、なお72歳で元気にしているとは、エルトン・ジョンはかなり丈夫な人なのだと思います。オーバードーズで病院に運び込まれた2日後にドジャースタジアムでのコンサートを成功させるなんて、常人には到底成し遂げられる事ではありません。

主演のタロン・エジャトンは、可愛らしい顔をしていて、演技も一瞬一瞬おそろしく丁寧で、歌にも魂がこもっていて素晴らしい役者さんでした。それでも彼とエルトン・ジョンがコンサートで共演している動画を見ると、明らかにエルトンの方が安定感抜群なのです。

辛い家庭環境で育って、寂しい思いをしたかもしれないけれど、それに負けない生命力を持った巨人、選ばれし人なのだと思いました。

作詞家のバーニーとの友情も感動的でした。今回、ユアソングの歌詞を初めてちゃんと知りましたが、こんなに奥ゆかしい素敵な言葉たちだとは思いませんでした(ドンマイ、ドンマイ、気にするな、というような内容かと思っていた)。バーニーも存命なので遠慮もあるのか、描き方が一面的だと思わなくもありませんでしたが、変わらず支え続ける彼の眼差しのおかげで、今のエルトンがあるのだなと感じました。バーニーを演じたジェイミー・ベル(「リトルダンサー」の主人公だった)が温かさと品があって、とても良かった。

この作品、ブロードウェイでジュークボックス・ミュージカルになりそう。

 

ロケットマン (字幕版)

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  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: Prime Video
 
ザ・ベスト~僕の歌は君の歌

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ロケットマン(オリジナル・サウンドトラック)

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リトル・ダンサー [DVD]

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人形の家 part2

観劇日:2019年8月17日

劇場:紀伊国屋サザンシアター

 

2017年に書かれた、イプセン「人形の家」の続編。同年のトニー賞で作品賞、主演男優賞、主演女優賞を含む8部門にノミネートされ、ローリー・マトカーフ(ビッグ・バン・セオリーのシェルダンのママ)が主演女優賞を受賞しています。今回、主役のノラ役は永作博美で、演出は栗山民也。

夫トルヴァル役の山崎一が、一番台詞に血が通っているように感じました。終始緊迫した雰囲気の中で、彼が話すとほっとするような気もしました。最後は、彼が随分ノラに歩み寄って、理解しようと努力しているので、個人的には「え、まだ駄目なの、ノラ?」と思う面が無きにしもあらずでした。フェミニスト・アイコンとなったノラの基準からすると、私はまだまだ甘いという事でしょうか。

ノラ役の永作博美は、乳母や夫、娘との会話の中で常に葛藤して悲痛な表情を浮かべていたので(特に娘との対決はヒリヒリしたものでした)、その空気が全体を支配していて、観終わった後は、考えさせられるシリアスなお芝居だな、という感想でした。

ところがブロードウェイ版の抜粋シーンをYouTubeで見ると、ノラはもっと堂々としていて、図々しく、夫とのやりとりも丁々発止。乳母のアンネ・マリーもFワードを叫んだりして、客席から笑いが起き、まるでコメディ。雰囲気の違いに驚きました。国の文化の違いも影響しているのかもしれません。

脚本のルーカス・ナスはイプセンのファンで、「人形の家」を自分の言葉で書き直した結果、これは本当の意味でコミュニケーションが取れなかった2人の物語だと思い、彼らが改めて話し合う必要があるところに続編を作る意味を見出したそうです。

イケメンなナス氏、ヴォーグ誌にも取り上げられています。

 

私がノラの台詞で一番共感したのは、自分の中に聞こえて来る他者の声が消えるまで2年間の沈黙が必要だった、そうして初めて自分の声が聞こえるようになった、というところ。結婚などに関する彼女の主張に100%賛同は出来なかったけれど、最後にまた扉を開けて出て行く決断が、彼女にとっての最善なのだと納得する事はできました。

それにしても、残されたトルヴァルはかわいそうでした。カーテンコールで山崎さんの目が赤くなっていて、まだ役の余韻が残っている感じもして、ちょっとたまらない気持ちになりました。

 

↓雑誌『悲劇喜劇』で日本語訳戯曲も読めるようです。

悲劇喜劇 2019年 09月号

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A Doll's House, Part 2 (TCG Edition) (English Edition)

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